幻獣綺譚
「…ふぅ。」
無造作に一房垂らした前髪をかきあげ、彼は大きく息を吐き出した。
足元には、今し方飛び散ったばかりの鮮血が溢れている。
「依頼完了…か。」
呟き、天窓から夜空を見上げる。
散りばめられた星々の冷たい輝きが、紅に慣れた目に心地良かった。
誰もいない石造りの屋敷の中で彼はしばし、ひとりごちる。
強靭な爪と柔らかな黒銀の体毛を備えた手には、高価そうな腕飾りが掴まれている。
再度溜息を吐き、金褐色の髪を持つ青年は自らが死に至らしめた男に視線を落とした。
「…愉快だね。ホント…」
――身内の者は、一人もいないと聞いた。死んだところで、誰も悲しまないと。いや…この男が生きているからこそ、悲しむ者がいるのだと。
…彼は暗殺者だった。だが、彼自身こんな仕事を好んでやっているわけではない。
闇組織に生まれ、この街で育った以上、そうして生きて行くしか道はなかったのだ。
物心ついた時から、殺しに関わっていた。事情を知らぬままに、自ら手を下したことも幾度となくあった。気付けば、裏の世界では名の知られた『狩人』になっていた。
所属していた組織から抜けてからも、彼に対する依頼はあった。失敗ない自信と、手腕に対する信頼があるゆえに、彼への依頼は絶える事が無かったのだ。けれど、彼はある条件を出していた。
目的以外は誰も傷つけず、悲しませない。
そのような標的は滅多に無かったが、それでも…いや、だからこそ、彼はその料金を高く見積もった。
彼にこの仕事以外で得られる収入はない。こうしなければ、生きていけなかったのだ。
「皮肉…だよな…人間狩りなんて。」
死体の頬に付いた血をそっと拭い、彼は音も立てず窓に忍び寄る。
証拠は一つとして無い。もとより、この街の警備では彼を捕まえる事など到底不可能なのだ。
「さて…帰るか。」
自嘲気味に呟いた彼の表情は、影になってよく分からなかった。
ただ、その唇から垣間見えた鋭い牙と、背の辺りで揺れる黒く長い尾が異様なほどに特徴的だった。
********
指定された場所は、街外にある小さな酒場だった。《瑠璃雀亭》の名に相応しく、質素ながらも小綺麗なその酒場は、彼の行きつけの店でもある。
軽く店内を見渡すと、彼はいつも座る窓際のテーブルに席を取った。軽く息を吐き出したその横顔は、端正ながらも鋭い獣の特徴を持っている。だが、その腕に昨夜のような黒銀の体毛と強靭な爪は見られなかった。
時間は未だ早く、店の中にはまだ人は少なかった。
依頼主を待ちながら、彼は惚っと窓から見える人の流れを見やっていた。
平らな石の敷きつめられた道は、今日も行き交う人や獣車で賑わっている。丁度向かいにある小物屋が安売りをしているらしく、そこだけはいつになく人だかりが出来ていた。
無意識に、何処からか差し出された酒杯へと手が伸びる。但し、中身は酒ではない。見かけによらず、彼が異様なほど酒に弱いのはこの酒場の誰もが知っている事なのだ。
「ちょぉっとヴァルク? いつからそんな無愛想になったのさ。」
唐突に聞こえてきた声に、思わず咽せそうになる。
呆気に取られて見上げた先には、自分の持つ酒杯と同じものを持った金髪の人影が笑みを浮かべて佇んでいた。もっとも、その手の酒杯にはなみなみと葡萄酒が満たされていたが。
「この私を忘れたなんて言わせないわよ、ヴァルク?」
紛れもない男性の声でそう語りかけつつ、その人物は彼の目の前の席に腰を降ろした。明るい色の紅を差した唇が、親しげな笑みを形作っている。
「レーヴェ、お前…相変わらずの女装趣味か。よく嫌にならないな。」
苦笑しながら言うと、彼は――外見的にはどう見ても彼女なのだが――ほんの少し眉を顰めた。注意深く観察すれば、その顔貌が女性のものでなく男性のそれであることに気付けるのだろうが。
「ま、失礼な。これは仕事だって言ってるでしょ。」
そう言うが、彼の服装はともかく、その言葉遣いは仕事を越えて日常のものであることは一目瞭然だった。何の違和感も無いほどまでに使いこなせているのだから。
それでも、身のこなしだけは流石に男性的だった。それがまた、気の強い女性のような容姿と奇妙に合っている。
「何の仕事だよ…」
「何だっていいじゃんさ。あんたには到底縁のないコトなんだから、放っといてよ。」
自棄のように葡萄酒を呷るレーヴェを呆れ顔に見やり、豹の相貌を持つ青年――ヴァルクもまた手にした杯に口を付けた。
爽やかな柑橘系の刺激が、瞬く間に口腔内に広がる。
再び窓の外へと視線を向けたヴァルクを何処となく娯しげに見やり、向かいに座る青年は口を開いた。
「…で、どう? 儲かってる?」
視線を動かさぬまま、ヴァルクは応える。
「あまり儲かっては欲しくなんだけど…な。」
「その返事だと、まぁそこそこね。」
「まぁ…そうだな。」
依頼主が現われる気配は、未だ、無い。
今回の依頼は、館への侵入が困難だというので、普段の二倍近く…金貨二万枚を報酬として見積もった。前金として半額、そして、今日残りの一万枚を受け取る手筈になっている。 とは言え、実際に一万枚もの金貨を持ってこれるはずが無い。他国の例に漏れず、この国も通貨を桁ごとの単位に分けて使っている。
(五千金貨で二枚…か)
一般庶民は滅多に手にすることのない単位の金貨である。そう考えると、おのずとその重みも知れてこよう。
「ヴァルク…あんた、もしかして依頼人待ち?」
からかうようなレーヴェの声に、ヴァルクははっと我に返った。
彼の金色の瞳が、深い輝きを秘めて見つめてくる。
ヴァルクの「狩人」としての顔を知るものは意外と少ない。レーヴェは、その少ない中の一人だった。
「…そんなところだ。」
曖昧に頷き返して顔を上げた刹那、丁度酒場へ入ってきた男と目が合った。ヴァルクの姿を認めると、その男はゆっくりと彼らのテーブルへと近付いてくる。
店の中に、相変わらず客は少ない。
横に立った男に気付き、レーヴェがふと顔を上げる。表情を変えぬまま、ヴァルクは男を見上げた。
「…終わったぜ。」
言葉少なにそう告げ、先日殺した男のものであったろう、金の腕飾りを投げ渡す。
それを受け取ると、確認するかのように暫らく目を通してから、男は無造作に二枚の金貨を置いて立ち去った。
その後ろ姿を見送り、ヴァルクは苦笑を洩らす。
元来無口なのか、依頼に来たときもあの男はこうだった。
「…へぇ。」
不意に、感心したレーヴェの声が耳に飛び込んで来た。
「すごいわね、ヴァルク。これ五千金貨じゃない。」
テーブルに置かれた金貨を摘み上げて光に透かすようにして見ながら、感嘆の溜息を洩らす。五千金貨一枚で、一般庶民なら優に二ヵ月は暮らしていけるのだ。
「さっすが、良い仕事してるわね。あんたみたいな友人を持てるなんて、私ってば運がいいわぁ。」
「…誉めても何も出ないからな。これ、俺の生活費なんだから。」
真面目に返すヴァルクに、彼は失笑した。
「何よ、本気で感心してんじゃないの。格好イイじゃない、ヴァルク。」
「よく言うぜ…」
二枚の金貨を弾いてヴァルクに渡し、軽くウインクする。それと見て、ヴァルクは困惑気味に視線を落とした。
「あらま、もしかして照れてる?」
そんなヴァルクを見てくすりと笑い、彼はふと表情を翳らせた。俯いているヴァルクは、それと気付かない。
朝方頼まれた用事を思い出したのだ。ここからそう遠くない場所で行なわれる取引をどうにか成功させるために手を貸して欲しいと。
(頼んでみようか…)
視線をヴァルクに据えたまま、考え込む。つと、ヴァルクが顔を上げた。
「…レーヴェ?」
「ねぇ、ヴァルク。」
二人の声が重なる。ヴァルクは口を噤んだが、レーヴェは構わずに言葉を続けた。
「私の仕事、手伝う気なーい?」
「ない。」
…鰾膠(にべ)もなかった。
呆れたように自分を見返すレーヴェを見ながら、彼は溜め息混じりに言う。
「レーヴェ、俺は身体を売る気は――」
「あっはははは、そんなんじゃないって」
的外れな彼の答えに、レーヴェは弾かれた様に笑いだした。
「確かにそっちの方が主だけどさ、あんたみたく無愛想なのは誰も買わないって。…じゃなかった。ちょっとした厄介ごとだよ。」
危うく脱線しかけた話題を、慌ててもとに戻す。
「何の因果か、私のトコに依頼が来ちゃってさぁ」
「…危険な事なのか?」
「場合によってはね。私一人じゃちょーっとヤバそうなんだ。」
そう言いつつも、彼の瞳は娯しむような光を湛えている。
「幸い報酬も払うって言ってくれるし…」
癖のある金色の髪を細い指先で玩びながら、彼はヴァルクに向かって意味ありげに片目をつぶってみせた。
報酬と聞いて、興味無げだったヴァルクが視線を上げる。
先程も述べたが、レーヴェと違って彼の収入は滅多にない。その分ある時が大きいのだが、いつ手に入るか分からないだけに、生活費に対する彼の不安は大きいのだ。
ヴァルクの反応に内心苦笑しながら、レーヴェはここぞとばかりに言葉を継ぐ。
「もちろん、収入は山分けね。あんたが来てくれれば危険はなくなったも同然だし、軽いもんだと思わない?」
「そりゃ…まぁ…」
「どーぉ? 手伝ってくれないかなぁ…?」
獣の容貌を持つこの端正な青年には無意味だと思いつつも、わざと甘え声を出してみたりする。
「…レーヴェ。気持ち悪いからやめてくれ。」
思った通り、間髪入れず返ってきた声にはうんざりとした響きがあった。
「安宿の客ならともかく、俺はそんな事で気を変えたりしないからな。」
「ま…よく言うわ。しょっちゅう安宿泊まってるクセに。」
「それとこれとは話が別だ。」
からかうレーヴェに言い返しておいて、ヴァルクはふと考え込む。
確かに悪い話ではない。レーヴェの話は信頼できるし、特に断る理由も…。
「…いいぜ。手伝おう。」
にこり、と微笑んだ唇の隙間から、鋭い犬歯が覗く。それと見ても、レーヴェは特に驚く様子はなかった。黒豹の血を持つヴァルク――とうに分かっていることなのだ。
「本当!? 助かったわぁ!」
「助かったのは俺の方さ。」
大袈裟に喜ぶレーヴェに、ヴァルクは穏やかな笑みを湛えたまま言葉を続けた。
「これで暫らくは生活費に困ることがないだろうからな。」
「…あんたって、ホント所帯染みてるわよねぇ。こぉんなに格好イイのにさぁ。」
呆れつつも感心したようなレーヴェの視線に当惑して顔を背ける。そんなヴァルクを見てくすりと笑い、彼はつと立ち上がった。
「さ、行こっか。」
「もう…行くのか?」
空になった杯を持ち上げ、歩きだしかけるレーヴェを、ヴァルクは呆気に取られて見上げた。
「なーに言ってんの。膳は急げ、でしょ。ほら、立って立って。」
言われるまま立ち上がり、ヴァルクはほとんど引きずられるようにしてレーヴェの後に続く。
「行くわよ、ヴァルク!」
「ちょっ…自分の酒代は払えよな。」
勘定もそこそこに店から出て行く二人を、物陰から一つの視線が凝と見つめていた。
********
町外れの廃墟になった寺院。そこが指定された取引場所だった。
聞いたところによると、取引自体に問題はないらしい。取引の内容は聞かなかったが、どうやらそれが邪魔な者がいるらしく、前々から妨害をして止まなかったのだそうだ。
事と次第によっては殺してしまうことにもなりかねなかったが、ヴァルクの言うところによる「狩り」によるものとは大分に意味合いが違う。即ち、この場合は殺しが主目的ではないのだ。結果は同じといえばそれまでだが、ヴァルクのように狩人として生活している者には大きな違いだった。
取引場所からそう遠くない崩れた壁の蔭に、二人は身を隠した。
レーヴェの手には長い樫の棍が、そしてヴァルクの手には、自らの身体から生じた獣の爪があった。
無造作に投げ出された腕には黒銀の柔らかな体毛が、油断なく辺りを見回す瞳は豹のそれのように爛々とした輝きを湛えている。そして、あの夜と同じようにその背後には黒い豹の尾が揺れていた。
「…ヴァルク、何か匂わない?」
「人を犬のように言うなよ。…特に何も匂わないぜ。」
レーヴェの言葉に囁き返し、ふと日の沈みかけた空を見上げる。
取引をしているらしい男の声が聞こえる。その声は、彼ら二人が妨害者を捕らえてくれる事を信じて疑わないように自信に満ち溢れていた。
殺さずに捕らえる自信はあった。傷付けないことは流石に難しいだろうが、働くのは自分だけではない。レーヴェもいるのだ。
「…来たようだな。」
背後で進められている取引から、ヴァルクは足音を忍ばせて近付いてくる気配へと意識を転じた。
傍らのレーヴェが、身を強ばらせる。
「どうする? まず私が行って探りかけてみようか。」
「その必要は無い。」
言うが早く、ヴァルクは壁の蔭から立ち上がった。続いて立ち上がりかけるレーヴェを目で制しておいて、視界に入った人影に無造作に声をかける。
「…おい、お前。」
声をかけられた人影がぎくりと立ち止まり、その手に持った剣のようなものを慌てて後手に隠すのが朧気に分かった。どうやら…男、らしい。
「こんな所で何してるんだ。」
黒豹の相貌を顕したまま、その男に歩み寄る。唇の端から垣間見える牙が、真横から受ける月光に煌めき、ヴァルクの視線に鋭さを添える。
「何とか言ったらどうなんだ? …怪しすぎるぜ。」
皮肉げな笑みを浮かべて言い、ヴァルクはわざと爪を月光に翳してみせた。
牙と同じように冷たい光を放つそれに、男が隠していた(らしい)剣の鞘をはらう。
「…邪魔者か。」
「よく言うぜ。」
呟く様に言って剣を構える相手に、彼は数歩飛びすさって身構えた。未だ壁の蔭にいるらしいレーヴェに視線を走らせ、相手から目を離さずに口を開く。
「俺一人に相手をさせるつもりなのか、レーヴェ?」
「はいはい、分かってるわよ。ったく…」
間髪入れず答えて立ち上がり、壁の蔭から現われたレーヴェを見て、男がふと怪訝そうな顔つきになった。それと気付いたヴァルクが問い正す間もなく、彼は剣の構えを解いてレーヴェの蕎へと歩み寄っていた。
「レーヴェ…なのか?」
怖ず怖ずと問いかける声は、先程ヴァルクの言葉に応えた者とも思えない。
「何故こんなところに?」
「あんた…誰だっけ」
無意識に身体の構えを解き、ヴァルクはレーヴェと男とを訝しげに見比べている。
「だ…っ、誰だはないだろう。まさかもう忘れたのか?」
「いや、見たことはある気がするんだけどさぁ…私の客だった?」
棍を持ったままの左手で片頬を軽く掻き、レーヴェは思い出そうとするかのように男の顔を凝と見つめる。その視線を受けて、男は苛立ちも顕に剣を地面に突き立てる。
「半年前に会ったろう! それから前にも何度か…」
「え…っ、ああ! 何よ、無沙汰してたじゃない。あんたってば、金回りいいから嬉しいのよねぇ。」
「そんな理由で…」
「まあまあまあ。でもさ、ホント久しぶりじゃない。アディラ、あんたに会うのも。」
すっかり打ち解けた様子で会話する二人を、ヴァルクは呆れ顔に見守った。
その容貌から獣の鋭さが消え、体毛のあった腕は黒い斑点を残すのみとなる。その背で揺れる長い尾はそのままだったが、その手に既に強靭な爪は見られなかった。
「やれやれ…愉快だね。」
軽く肩を竦め、溜め息混じりに呟く。空を見上げるその背にレーヴェが声を投げかけた。
「ちょっとヴァルク、紹介するからこっち来てよ。」
「分かったよ。」
振り向いたヴァルクに黒豹の面影が無いのに気付き、男が驚いた表情になる。
ヴァルクを知る者にはさして大した事ではなかったが、やはり一般的に見ると彼の容姿は異常なのだろう。
「えーっと、こいつがヴァルク。私の仕事仲間みたいなものかな。ちょっと違うけど。でね、ヴァルク。これがアディラって言って、三年くらい前からの私の馴染みの客。」
「レーヴェ、紹介はいいが…」
呆れ顔で言うヴァルクに、レーヴェはくすりと笑って片目をつぶってみせた。
「依頼なら完了してるわよ。だって、アディラが取引を…」
「そう。悪かったな。レーヴェが関わっていると知っていれば、こんな事はしなかったんだが。」
そう言って笑う二人に、ヴァルクは今度こそ深々と溜息をついていた。
「愉快だね…まったく。」
背後で行なわれていた取引は、無事終わったようである。
*******
一週間後、ヴァルクはレーヴェと共に瑠璃雀亭へ向かった。一つは、勿論報酬を受け取るため、そしてもう一つは…。
入口で待っていた依頼主から報酬を受け取った二人の耳に、唐突に聞き慣れた声が飛び込んでくる。
「遅かったじゃないか、二人とも。」
窓際の例の定位置で、半分以上減った酒壜を振るアディラにヴァルクは苦笑しながら歩み寄った。
あの夜から、何故かアディラはレーヴェだけでなく、ヴァルクにも付き纏うようになっていた。付き纏うとは言っても、こうして三人で会い、時折仕事――ヴァルクの言う「狩り」ではなく――の話などをする程度のものなのだが。
「…にしても、アディラまで『狩人』やってるなんて、意外だったわ。あの時も依頼だったんでしょ?」
「まあな。…何だよ、その顔は?」
「べっつにぃ…ただ、『狩人』にも色々あるなぁって思っただけよ。」
自分で酒杯に葡萄酒を注ぎ、それを半分ほど飲み干してレーヴェは笑みを浮かべる。
「ヴァルクがね、よく言ってんの。自分のコト『人狩り』ってさぁ…」
「人狩り? 狩人の蔑称か?」
「アンタにしちゃ良く分かったわね。」
唇に寄せた杯を傾け、言葉を返したアディラに突き出す。アディラはしばらくそれを睨むように見つめていたが、やがて根負けしたように葡萄酒を注いだ。
そんなレーヴェの傍らでは、ヴァルクがどこか拗ねたように視線を俯けている。
「――で、アンタも狩人やってんでしょ? ヴァルクみたく暗くないじゃない。だからよ。」
「そりゃ…オレは人殺してねぇからな。人殺すばっかが狩人じゃないさ。」
「そうなのか?」
驚いたように顔を上げるヴァルクに苦笑を浮かべ、アディラはレーヴェの手から杯を奪いとってそれに口を付けた。
「当然だろ。ま、ヴァルク、お前の経験も情報網もまだまだ未熟だって事さ。っと…それと、恋愛経験もな。」
「いやぁね、アディラ。私の目の前でナンパ?」
新しい酒杯に葡萄酒を注いでもらいながら、レーヴェが苦笑混じりに言う。
「私の知り合い、変なの多いわねぇ。ヴァルクだけで十分とか思ってたのにさ。」
「よく言うぜ…」
「まったくだ。」
ヴァルクの呟きに、アディラがすかさず相づちを打った。
「コイツが一番変だと思うがな、オレは。」
「あらあら、その変なのを買うお客さんは誰かしらぁ?」
「勿論、オレだ。」
既に日常と化した口論を聞き流しながら、ヴァルクはふと視線を落とした。
黒い斑点の浮く、獣の血を引き継ぐ身体。この所為で、今まで随分と多くの血を流したと…そんなことを思う。気にしないと言うレーヴェが傍にいても、引け目すら感じていた。だが、今は…。
「どうした、ヴァルク?」
耳元で響く声に、ふと顔を上げる。
「シケた顔して…キレイな顔が台無しだぜ、なぁ?」
「そーそ、気楽に行かなきゃ。」
軽口を叩く二人に、ヴァルクは躊いつつも笑みを向けた。
「よっし、笑ったな。じゃ、冒険の成功を祈って!」
「何よ、冒険の成功って…」
今は何故かこの身体にも、誇りを持てる。
「何だレーヴェ、忘れたのか? 報酬受け取ったら、きっぱり後ろ暗い『狩人』から足を洗ってだな」
「ああ、そーいえば言ってたわねぇ。旅でもするかって。」
「だろ? 強い味方もいることだし、な。」
不意に自分を見つめたアディラの瞳には、力強い光がある。それは期待でもあり、信頼でもあった。
…今は、この身体を活かそう。生命を奪う為だけの身体ではないと、証明するためにも。
「よし、じゃ改めて!」
「だ・ら! 乾杯はいいってば。酒飲めないコがいるんだから。ねぇヴァルク。」
「放っといてくれよ…。」
「何だ、駄目なのか? じゃ、このオレが手ほどきを…」
「やめなさいよ、アディラ。ヴァルクは変な道引き込んじゃ駄目。私と違うんだから。」
「惜しいなぁ…」
「駄目ったら駄目なの!」
再び尽きるとも知れない口論が始まり、ヴァルクは苦笑して窓の外へと目を向けた。
その力に溢れる獣の瞳で見上げた空は、まるで三人の前途を暗示するかのように明るく、どこまでも晴れ渡っていた。
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