幻獣綺譚 外伝
reminiscene 2
今考えると、とんでもないことをしていたと思う。でも、そうしなければ俺は生きていけなかった。
森を拠点として、盗み、追い剥ぎ…何でもやった。
誰から教わったのか…その頃には、片言だが何とか人の言葉も話せていた。自分がエオスと呼ばれていることもやがて知った。
多分、明け方を選んで人を襲っていたからだろう。
気紛れに人を襲っては食料を奪い、それを食べて暮らす…そんな日々が、三年ほど続いた。
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耐えようもなく餓えていた。
その月はいつにも増して狩れる獣が少なく、雨期に当たるのに雨はかけらほども降らなかった。
おまけに、狩人達が――これも彼と同じく飢えのためだろうが――目につく獣を片端から仕留めて持って行く。
森の奥に生える茸や、僅かながら蓄えていた木の実などを口にして何とか飢えを凌いではきたが、本来ならば育ち盛りの少年には耐えられなかった。
…獲物を探して森をでたのは、これが初めてだった。
見慣れたそれとは違う風景。木々の葉に遮られることのない明け方の薄い陽光が、低い崖沿いの街道を燈幻色に染めている。
街道を見下ろせるその崖の上に立ち、彼はめっきり細くなった腕を所在なげにぶらつかせた。
見渡す先には、ぽつぽつと灯りの消え始めた町が見える。
――あの町には、自分から獲物を奪っていく人間達が住んでいる――
そう考えるといてもたってもいられなくなったが、不意に響いた数人の人間の声が、崖を駆け下りようとする彼をおしとどめた。
動きを止め、少年は指先の爪を確認するかのように軽く擦り合わせる。
――…エモノ、トッタノカ…?
しゅう…っと、牙の隙間から息が漏れる。
目に入ったのは、旅人風の格好をした3人の男だった。背には、食料らしい包みをそれぞれ背負っている。
朱紅い瞳を朝日に煌めかせ、彼は痩せた身体を宙に舞わせた。
かつて狐を捕らえたときのように、男の一人を押さえつける。何が起きたか分からない、と言った様子の男の喉元に噛み付き、瞬時に喉笛を食い千切った。
「こ…こいつ…っ!?」
少年のあまりに異様な容姿とその動きに、残り二人の男が後退る。
口に含んだ肉の切れ端を吐き出し振り返った少年の目が、彼らを捕らえた。餓えて落ち窪んだ眼窩、血で真紅に染まった牙。
背を向けて一散に逃げ出す二人を、少年は追おうとはしなかった。足元で既に絶命している男の背から、麻袋を引きずり下ろす。
人の肉を食べようとは思わなかった。先程口に入れたときに、むせ返るような嫌悪感があったからだ。
素早く麻袋の口を噛み切り、中に入っていた干し肉を確認する。手を伸ばして一切れを口に入れ、残りは両手に掴めるだけ掴んだ。
麻袋を放り出し、振り返りもせずにそこから走り去る。
罪悪感はなかった、といえば嘘になるかも知れない。だが、飢えにまかせての行動に、そんなものは邪魔なだけだった。
旅人の死体が見つかるのは、早くても今日の昼過ぎだろう。もとより、今まで森から出たことの無かった彼のことが、人間に知られているとは考えられない。
森へ帰り着いた少年は、ただひたすらに奪った干し肉を貪った。
飢えから発した行動だったが…その後、彼は幾度と無くこういった行動を重ねることとなる。
だがこれ以後、決して命を奪うことはしなかった。
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