幻想史話
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「リュリア…相変わらずだな。」

 低く響いた声から、その人影が男であることくらいは判断できた。傍らの青年のそれと同じく、その声は透き通り、そして何処か婉然とした響きを持っている。

「さっきの肉持ってきて、ここで食べよーよ。」

 横で自分が来る以前から火に当たっていた者達の事など眼中にないように、少女は声を張り上げた。少年は再び青年と顔を見合わせ、そろって新たに現われた人影に目を向ける。
 その人影は火の近くまで歩み寄りながら、少女から傍らの二人連れへと視線を転じた。少年から青年へとそれが移った瞬間、彼はぴたりと歩みを止める。
 炎の明るさで、今ははっきりとその姿形が見て取れた。
 漆黒の潤やかな長い髪。整った顔立ちに、切れ長の目。美しい獣を思わせる、均整の取れた体付きをしていた。背には細めの長剣を背負い、濃藍の薄手の服に灰色がかった白いローブのようなものを纏っている。

(…苦手なタイプだな)

 彼を見た瞬間、少年は直観的にそう感じた。
 それはすぐに、黒髪の青年が発した言葉に裏付けられる事となる。

「邪魔…だったかな、お嬢さん?」

 その言葉が自分に向けられたものであると悟って、碧翠の髪の青年は眉を顰めた。もう幾度目になろうか、また女に間違えられたのかと思ったのである。だが──

「大丈夫だよ。ちゃんと分かってるから。キミ、男のひとでしょ?」

 不意に響いた少女の声が、我知らず彼に鋭い視線を向けていた青年を我に返らせた。その一方で、少年は自分の勘が当たってしまった事に、密かに深々と溜息を吐いていた。
 意外そうに少女を見る青年が口を開きかけるのに先んじて、彼女が言葉を続ける。

「んー、シルフェルのクセなんだろな。気にしないほうがいーよ。一回言ったらもう言わないし…だよね?」

 最後の言葉は、いつのまにか側に来て青年の隣に腰を降ろしている自分の連れに向けてのものだった。
 持ってきた肉を渡しながら、シルフェルと呼ばれた青年は軽く肩を竦める。だがそれだけで、口は開こうとはしなかった。
 碧翠の髪の青年はというと、自分の性別を正しく理解された事が嬉しいらしく、気を良くしたようだ。逆に少年は不機嫌そうな表情で膝を抱えている。

「あ、忘れてた。」

 受け取った肉を炙りながら、少女が唐突に声を発した。

「旅人に逢えるのって、ほとんどないんだよね。」

 怪訝そうな面持ちとなる少年たち二人に、にこり、と微笑みを向ける。

「自己紹介、しない? アタシ、リュリアン。リュリアン・ガドア。リュリアって呼んでね。」

 まだするともしないとも言っていないのに、少女は鈎爪のない右手を差し出す。わけの分からぬままそれを握り返し、少年は唖然と相手を見返した。

「そんで、これがラーシィ。ソシェアだけど、アタシの相棒だよ。」

 ついでにと、肩に乗せた黒豹の紹介もする。

「ほらラーシィ、あいさつは?」

 彼女の言葉に小さな黒豹は閉じていた目をうっすらと開け、喉の奥から不機嫌そうに唸り声を発した。

「…ごめんね。コイツ、なんかしんないけど眠いみたい。」

 相変わらず笑顔を絶やさぬ彼女のペースに、少年はしっかり呑み込まれてしまっている。

「…シルファリア・カシューナ。シルフェル、またはシルファと呼んでくれ。歓楽都市ラノンの貴公子と言えば、知る者も多いだろう。」

 リュリアンの後を引き継ぐように言った黒髪の青年が、妖艶な笑みを少年の連れへと向ける。
 碧翠色の髪の青年は、ラノンと言う街名にはっとしたようだった。

「ラノン…歓楽都市ラノン。懐かしい名を聞きましたね。」

 呟かれた声に、シルフェルは怪訝そうに眉を顰める。それと気付き、彼は青年に視線を向けると改めて口を開いた。

 「私は…連れの彼にはラシュアと呼ばれています。精霊使い(ゾルフェナー)レテュラシュアル。…歓楽都市ラノンは、私の生れ故郷です。」

 初めて聞いた、とでも言うように、少年が顔を上げる。それにも構わず、青年は言葉を続けた。

「この容姿ゆえに、少々…いえ、可成厄介な事に巻き込まれることがしばしばありまして。私を此処まで育てて下さった方の元へ、街を捨てて逃げ込んだわけなのです。」
「…ラシュア。」

 不機嫌そうな声が、彼の話を遮った。見ると、少年が僅かに頭を振ってみせている。おそらく、そこまで話すことはない、と言いたいのだろう。
 それと察して、ラシュアはシルフェルに苦笑を浮かべてみせた。リュリアンはと言うと、炙った肉を齧りながら三人のやりとりを面白そうに眺めている。
 そんな二人と一人を交互に見やり、少年は大きく溜息を吐いた。その溜息がおこした風に焚火の炎が揺れ、灰が舞い上がる。

「…オレは」

 ぽき、と折って焚火にくべながら、少年は重い口を開いた。

「ダリアン・ルーク。…魔科の光の届かないところから来た。」

 一息つき、二本目の枝を投げ込む。

「その村に…光を灯すために旅してる。」
「へぇぇ。」

 分かっているのかいないのかよく分からない表情で、リュリアンが感心したような声を上げる。
 旅の目的を話しているのに彼の表情が暗いのは、矢張り魔科によって滅びた中央都市イスィラノールを目のあたりにしたからなのだろうか。

「じゃ、あらためてよろしく。ラシュアとダリアン、ね?」

 彼の思惑を知らぬまま、リュリアンは片手を差し出した。
 握手を求めたつもりだったのだろうが、何故か彼女は途中で腕を止めた。差し出した手が、鈎爪のある左手だと気付いたからだ。
 けれど、彼女が腕を引くより早く、ラシュアの手がリュリアンのそれを取っていた。
 呆気に取られるリュリアンに、ラシュアは親しげな笑みを向ける。

「こちらこそ宜しくお願いします。リュリアン。それに──」

 リュリアンとの握手を終えた手を、ラシュアはシルフェルに向ける。

「シルフェル。同郷の方と逢えるなんて、私は運が良い。」



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