幻想史話
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「同感だ。」

 囁くようにそう応え、シルフェルは差し出された手を取ってその甲に口付けた。歓楽都市ラノンでは日常的な習慣だが──少なくともシルフェルにとっては──ダリアンにとっては当然ながらそうではないようだ。
 横目にそれを見、彼は再び不機嫌そうに押し黙った。どうやら、彼にはシルフェルのこういった仕草が気に入らないらしい。
 ダリアンが炎を睨み付けているその傍らでは、リュリアンが不思議そうに自分の左手とラシュアを交互に見つめていた。
 今まで出会ったシルフェル以外の人間は彼女のその左手の鈎爪を恐れたものだが──彼女自身、シルフェルは変わっていると思っている──ラシュアは何故か恐れなかった。それが彼女の中で、素朴な疑問として渦巻いているらしい。

「…変なの。」

 結局その結論に達し、リュリアンは肩に乗せた黒豹の尻尾で遊ぶことにした。不機嫌そうなラーシィの呻きを無視し、その尾を指で弾いてから何か思いついたように身を乗り出す。

「ねぇ、これからどうするの?」

 シルフェルとラシュアの間に割り込んで尋ね、俯いているダリアンの顔を覗き込む。

「折角逢えたんだからサ、これから一緒に旅しない?」

 その言葉に、ラシュアは思わずダリアンを見やった。彼自身に異存はない。だが、ダリアンは…?
 ラシュアのその視線に気付き、ダリアンが面倒そうに口を開いた。

「…お前ら、目的は?」

 外方を向き、ぶっきらぼうにそう尋ねる。相当不機嫌そうなその様子に、ラシュアが苦笑を洩らした。
 どうも彼には、ダリアンのそう言った反応を楽しむようなところがあるらしい。

「アタシはね、自分の街つくるために旅してんの。」
「ただの暇潰しだ。」

 数瞬の沈黙の後、二人の声が同時に響いただが都合の良いことに──と言うべきか──ラシュアもダリアンも片方にしか注意を払っていなかった。
 即ち──

「暇潰し、ですか? 私は乱れた精霊力を元に戻すために旅をしているのですが…」
「何だよ、街作るって。だったら自分の生まれた街戻りゃーいいじゃないか。」

 …と、こう言った具合である。もはや話し合いも何も無い。見事に二つに別れてしまっている。リュリアン達が来るまでの会話から考えても、この二人は決して仲が悪いわけではないのだろうが。
 ──で、結局。

「リュリアは街を造るためで、ダリアンは村に魔科を導入するため…と。これはうまく一つに出来そうですね。それから、シルフェルは…付き合って頂くとして、要は私の精霊力の統正ですか。…これは困りましたね。」

 焚火を囲んで沈黙した三人を気に掛けながら、ラシュアが話をまとめる…と、こう言う事態になってしまうのであった。
 どうも、これから定着しそうな展開である。

「…まぁ、私の方は行くあてもありませんし、当分はあなた方に同行すると言う事で。」

 書き連ねていた手記のようなものをぱたりと閉じ、彼はそれを魔科情報体に還元した。
 これは、情報を持たぬ魔力の固まりに科学力によって情報を付加し、そのままの物体として持ち歩かなくとも念じるだけで空間から召喚することが出来るようにしたものである。
 ラシュアほどの上位の精霊使いともなれば、このような品物を色々と手に入れる事が出来た。

「…さて、眠りますか。」

 三人を見回し、ラシュアはにこり、と微笑んだ。

「精霊たちが守ってくださるそうですよ。見張りは必要ありませんね。」

 不思議そうに首を傾げるリュリアンに視線を向け、彼は言葉を続けた。

「大丈夫ですよ。この辺りの精霊達はまだ正気を保っていますから。さぁ、夜が明ける前に一眠りしておきましょう。」

 精霊使い。その基礎となるのは、自然の中にある霊力を感じ、それと対話出来る能力である。それによって精霊を使うのではなく、友として、同胞として協力してもらうのだ。ごく稀に、精霊を自分の下僕として働かせている者もいるが、ラシュア達はそう言った者を冥霊師(アドミュラー)として忌み嫌っている。

「よくわかんないけど、まあいいや。シルフェル、寝よ?」

 いつもの調子で無邪気に言うと、リュリアンはシルフェルに身を寄せた。背の長剣を取り外し、木の幹に寄り掛かって瞼を閉じる彼の膝元で、本物の猫のように丸くなる。
 それとみて、ラシュアはくすりと笑みを洩らした。

「仲の良いことで…ダリアン、私達も眠りましょう。」
「あ…ああ。」

 意外そうにリュリアン達を見ているダリアンに声をかけながら、ラシュアは纏っていたマントを地面に広げた。長い髪を器用に纏めて横になるその傍らで、ダリアンが荷物に寄り掛かって早くも寝息を立て始める。
 そしてラシュアが瞳を閉じ…辺りは、沈黙に閉ざされた。





 翌朝。
 目覚めると、霧が辺りを覆い隠していた。
 露で湿った茶褐色の髪を振り、彼女は立ち上がって大きく伸びをする。

「んー……」

 左手の鈎爪が、ぼやけた陽光に綺羅めいた。

「気っ持ちいー!」

 肩に乗っていたラーシィは、地面に落ちたもののまだ目覚めてはいないようだ。

「んん…、みんなまだ寝てる、よねぇ。」

 三人を見回し、リュリアンは不意に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「えーっと…まずは…」

 足元の小豹を踏まないよう気を配りつつ、傍らで眠っているシルフェルの横に腰を降ろす。

「んーと…」

 手持ち無沙汰に左手の鈎爪で軽く頬を掻き、右手で銃を取り出して構える。引き金に指をかけ、狙いを定めるその瞳には、半分以上本気であろう殺意が宿っていた。

「…っ…」

 唐突に、シルフェルが瞼を開ける。その漆黒の瞳に見つめられて、リュリアンは銃を構えたまま誤魔化すような笑みを浮かべた。

「リュリア…お前か。」

 溜め息混じりに呟くと、彼は眼前に構えられた銃を片手で除けた。

「あは、起きたね、シルフェルっ」

 銃を納めて勢いよく立ち上がるリュリアンを見つめながら、自分の長剣を引き寄せる。

「相変わらずだな…お前は。」
「んー、でもサ、シルフェルってこれで起こすのが一番いーんだもん。殺気に敏感だから、ね?」

 くすくすと笑いながら、リュリアンはもう一度大きく伸びをした。



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