リュリアンはシルフェルの腕の中から、凝と彼を見上げている。
「何故そのような…貴方一人が犠牲になることはないでしょう?」
「勘違いするな。そんな心算ではない。」
リュリアンの髪を優しく撫でながら、シルフェルが静かに言葉を紡ぎ出す。
「お前たちには目的があるだろう? 私には得に無いからな。」
「そりゃ、まぁ確かに…でもだからって」
「もともと暇潰しのために出た旅だ。これほど面白いこともないだろう。」
そう言われてしまうと、ダリアンやラシュアには返す言葉が無い。だがリュリアンは…
「…イヤだ…」
呟かれた言葉に、シルフェルがふと視線を落とす。
「ヤだよ、シルフェル! 一緒に旅して来たじゃないかっ! ここでお別れなんて…そんなのヤだっ!」
「リュリア…随分な言い様だな。」
叫ぶリュリアンに、シルフェルは苦笑を浮かべた。
「私は、最悪の場合…と言った筈だ。それに、一人の方が行動を取り易い。」
「でも、危険だっ!」
「リュリア。」
尚も言いつのろうとするリュリアンの豹の瞳を凝っと見つめ、彼は静かに言う。
「私を信じて、待て。…必ず戻る。」
「……う。」
リュリアンが小さく頷いたのを確認すると、シルフェルはつと彼女から身を離した。
「そんなわけだ。…ラシュア。」
「あ…はい、何でしょう。」
不意に名を呼ばれ、ラシュアははっとして顔を上げた。
「リュリアを頼む。」
「…分かりました、シルフェル。──また後で会いましょう。」
微笑んで言うと、ラシュアはリュリアンを引き寄せて背を向ける。
「行きましょう、ダリアン。」
「ああ。シルファ、死ぬんじゃねーぞ!」
霊杖を手に歩きだすラシュアの後を追いながら、ダリアンが怒鳴るように言った。
「…待ってるからなっ」
言うなり、ラシュアを追い越して部屋の外へ駆け出る。おそらく、照れているのだろう。
苦笑混じりにそれを見送り、シルフェルは部屋を出る直前で足を止めてしまったリュリアンに目を留めた。
徐に、背から鞘ごと長剣を引抜き、リュリアンを呼び止める。
「…リュリア。」
振り返ったリュリアンに、シルフェルは長剣を抜いた鞘を投げ渡す。
「預かっていてくれ。…すぐに、受け取りに戻る。」
「わ…分かった!」
大きく頷くと、リュリアンは牙を見せて笑いかけた。
「絶対だよっ」
ラシュアとともに部屋から出ていく二人を、シルフェルは無言のまま見送った。扉が閉じるのを確認すると、傍らの操作パネルに手をかける。
「さて…」
イスィラノールへのエネルギー補給を止めなければならなかった。まさかとは思うが、爆発した魔法変異体の影響が、情報機関を通して他の都市へ流れ込むことが無いようにだ。
魔法変異体の意志がそれを許すかどうか不安ではあったが、それを指示しても特に抵抗は見られなかった。
軽く安堵の溜息を吐き、シルフェルは右手に持った長剣に目をやる。
鍛え上げられた特殊銀の輝き。今まで、この剣で幾つの生命体を斬ってきただろう。
剣から目を離して部屋の奥へと歩きだしながら、シルフェルはふと柔らかな笑みを浮かべた。皮肉げでもなく、妖艶としてもいない…そんな笑みを。
「魔法生命体の影響か…面白そうだな。」
知らず呟いた声は、心底楽しそうに聞こえた。
部屋の奥に、赤黒い物体を封じ込めた培養槽を認め、彼はぴたりと足を止めた。
唇に浮かんだ微笑みを消し、右手に持った長剣を静かに構える。
床を蹴って走りだした彼の長い黒髪が、培養槽の林立する研究室に舞った。
三人が梯子を登って地上に出てからしばらくして、地中で鈍い爆発音が轟いた。
沈黙したまま、三人は凝とその場に佇む。 荒涼とした灰色の大地に、黄色い太陽が昼の名残の陽射しを投げ掛けている。
ダリアンは睨むように空を見つめ、溜息を吐くかのように大きく息を吐き出す。
(バカヤロー…)
口の中で呟き、傍らの精霊使いの青年にちらと目を向ける。
(多分、今頃になって良い案が浮かんで苦悩してんだろーな。)
…確かに、その通りだった。
(精霊達に頼むことが出来たろうに…私は、何という…)
ダリアンとは対照的に、碧翠の髪の青年は地面を見つめて溜息を吐いた。
(シルフェル、どうか無事で…)
自責の念に苛まされつつ、ラシュアは強く願う。
(リュリアのためにも…どうか…)
梯子を睨んでいる豹の少女は、そんなラシュアの不安を知らぬげに、一人晴れ晴れとした表情を保っている。
(絶対戻ってくる…!)
渡された長剣の鞘を片手で握り締め、無意識に肩の小豹の頭を撫でる。
(絶対…絶対!)
それぞれの思惑に浸る三人を残したまま、陽は静かに沈んでいく。
誰からともなく集まり、ラシュアが用意した焚火を囲んで三人は座り込んだ。
炎を見つめたまま、沈黙の時が過ぎる。
誰も、口を開こうとはしなかった。
瞬きもせずに炎を睨むダリアン。霊杖を還元することも忘れ、物思いに沈むラシュア。そして、ともすればこっくりと眠り込みそうになる意識を何とか持ちこたえさせ、剣の鞘を握り締めているリュリアンと、その肩のラーシィ。
遥か過去に濁ったまま戻らぬ空気が、冷えた夜空にある星の輝きを遮断する。吹き抜ける風に揺らめく炎が、三人の心を象徴しているようだった。
ダリアンの視界の片隅で、霊杖に身を持たせ掛けたまま俯いていたラシュアが静かに寝息を立てている。
(あいつ…)
呆れた溜息を吐き、ごしごしと目を擦る。
(…遅いな…)
流石に疲れたのか、ダリアンは赤くなった目を炎から離し、研究所へと続く梯子に目をやる。
(──まさか、なぁ)
沸き上がる不安を打ち消し、ダリアンは軽く目を閉じた。
疲れと、心地よい眠気が襲ってくる。
しまったと思う間もなく、ダリアンは瞬く間に眠りへと落ちていった。
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