幻想史話
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 例えば、ラシュアがそうであった。
 憮然とした表情でひたすら自分の横を歩いているダリアンを見やり、彼は密かに溜息を吐いた。
 今朝からずっと、こんな調子である。原因は勿論シルフェルにあるのだが、当の本人は知らぬ顔で先を歩いているのだから始末の付けようが無い。ただ一人、リュリアンだけが明るい表情で双方間を行き来している。
 不思議とシルフェルに対する怒りは湧かなかった。それが彼の気質によるものなのだろうか、ダリアンも表面上は不機嫌そうだが、内面はそれほどでも無いはずだ。
 それがラシュアにはよく分かった。だからこそ、溜息が出る。

(どうしてこう素直になれないのか…)

 口で言うほど簡単ではあるまい。特にダリアンのような少年にとっては。

「ねぇラシュア、ダリアンはどうして魔科の光を灯したいのかな。」

 ぼんやりとしていると、不意にリュリアンが話しかけてきた。
 彼女もダリアンに話しかけても応えてくれない事を承知しているので、今の所ラシュアに話しかけるようになっている。

「いつ暴走するかわかんない力なんて、あっても不安だと思うんだけどなぁ。」

 生まれた街のすべてを魔科によって失ったために、その思いは激しいのだろう。その割に悲壮感が無いようだが、それは彼女の気性によるものなのだろうか。

「ね、どうしてかな?」
「え…ええ、そうですね…。」

 困ったように視線を彷徨わせ、ラシュアは結局ダリアンにそれを落ち着かせた。

「…話してくれませんか、ダリアン。」

 顔色を伺うように言ったラシュアを一瞥しダリアンはぼそりと呟く。

「…後でな。」
「そーいわずに、サ。だって、歩いてる間タイクツでしょ?」

 間髪入れずに言ったリュリアンに目を向け、ダリアンは軽く息を吐き出した。先を歩くシルフェルに睨むような視線を走らせ、やれやれ、とでも言うように口を開く。

「弟のためだよ。オレの村、すげぇ寒いところにあるんだ。」
「ふんふん」
「昨日言った通り、魔科の力なんてからっきしない。まだ旧文明の切れっ端に頼ってるんだ。」

 この世界の都市を大まかに分けると、四つに分類される。
 一つは、イスィラノールやラノンなどの一般的な魔法科学都市。もう一つは魔法都市、次に科学都市があり、最後にそのどれにも属さない村がある。
 多くは辺境の地にあり、前ユシュア暦からの狩猟農耕文明を引きずっている、都市と言えるほど大きくない村や町である。明かりは電気でもなく、魔法光でもない。では魔科光源かと言うと、勿論そうではない。灯油ランプ、蝋燭、松明などである。辺境の地に位置しているせいで、旧時代の文明からの脱却が果たせなかったのだ。
 ダリアンの村は、正にその通りの村だった。村を覆う魔科障壁が無いために、飢えた狼や熊が時折現われては村に損害を与えていく。冬になると着の身のままでは家の外にも出られぬほど冷え込んでしまう。そんな中で、夏の貯えが尽きてしまうと、後は狩りに出掛けるか、飢えを堪えるしかない。
 …そんな、村だった。
 ダリアンは弟と二人暮しで、年少者ながらもそれなりに生活していた。だが、五年前の冬──。
 今にして思えば些細なことだったと、自分でも思う。隣の家が火事になった際、その火が彼の家にも燃え移り、逃げ遅れた弟は大火傷を負った。その時に目に火が飛んだらしく、弟は視力を失っていた。
 火事の原因は、燭台の火が倒れたことにあった。

(魔科光源なら…こんなことにはっ!)

 かつてから魔科の力に憧れを抱いていただけに、ダリアンの悔しさは大きかった。魔科の力で失った身体の一部を再生できると知ってからは、尚更その思いは募った。
 魔科の力を村に導きたい。こんな暮らしから脱却したい。
 だが、それを口にしたときの周囲の反応は冷たかった。止めるわけでもなく、送り出すわけでもなく…
 要するに皆、無気力なのだ。変わらぬ日々への安心感と絶望が、その村を支配して止まなかった。
 彼は一人で村を飛び出た。弟は友人に頼み込んで生活を見てもらうことになっている。そのための食料は、旅に出るまでに必死で貯め込んでおいた。
 路銀や武器は、魔科地域では貴重な自然生物(キュクラ)の毛皮を売って手に入れた。テュラの価値や使い方は、旅を初めて間もなく出会ったラシュアに教えてもらった。
 出会った当初は、女だと思い込んで、彼の友である精霊たちに手痛い仕返しをくらったものだが…。

「…あれは痛かったな。」

 呟いた声に、ラシュアがくすりと笑みを洩らしている。それを軽く睨んで、彼はリュリアンに視線を戻した。

「とにかく、そう言うわけなんだ。」
「ふぅ…ん?」

 珍しく、リュリアンは神妙な顔をしている。

「いろいろあったんだ…。」
「ん…ま、な。」

 照れたように頭を掻き、ダリアンは何時の間にか遅れかけていた足を早めた。シルフェルは彼の話には興味が無いらしく、相変わらず一人先を進んでいる。
 辺りの荒野の景色は、進んでいる筈なのに先程から何の変化も見せない。
 ──と。
 リュリアンの肩の小豹が、低く唸り声を上げた。同時に、シルフェルがその歩みを止める。怪訝そうに眉を顰めるダリアンを置いて、リュリアンはシルフェルに駆け寄ると腰の銃を引き抜いた。

「気付いてるね。」
「ああ…」

 背を合わせて問いかける彼女に、シルフェルは長剣の柄に手を置いて頷き返した。
 呆気に取られて二人を見守っていたダリアンは、不意に肩を叩かれて我に返った。
 真剣な表情で、ラシュアが振り向いた先に佇んでいる。

「戦い…か?」
「そのようですね。」

 呟くように言うなり、ラシュアは霊杖を召喚して構える。それと見て、慌てて彼も自分の短刀を取り出した。油断なく身構え、少し離れた位置にいる二人の仲間に目を向ける。

「今度の相手は、なに?」

 何となく楽しそうに尋ねるリュリアンに、シルフェルは知らず苦笑を浮かべた。

「魔法生物(ウィンヌ)。少々楽しめそうだ。」



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