幻想史話
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「ねぇ、ラシュア。ダリアンどうしたの?」

 彼女は彼女なりに、ダリアンの事を心配しているのだろう。俯いたまま動かない彼を見る視線に、いつもの楽しげな色は見えなかった。

「気持ち悪いの? …違うの?」

 黙って首を振るラシュアに怪訝そうに首を傾げ、リュリアンは長い鈎爪で器用に前髪をかき上げた。

「色々あるんですよ、彼にも。」

 言いつつも、ラシュアはダリアンを気にしている。シルフェルと話していた時も、リュリアンと話していた時も、彼の視線は変わらなかった。
 少々複雑な気分を残しながらも、ラシュアは伏せかけた視線を上げて言葉を続ける。

「行って差し上げて下さい。少しは楽になるでしょうから。」

 我ながら余計な事だとは思いつつ、ラシュアは言った。
 不思議そうな顔をしたまま、それでもリュリアンはダリアンの側へと歩み寄っていく。

(やれやれ…)

 驚いたようにリュリアンを見返すダリアンの視線がラシュアに向けられた時、彼は既に傍らのシルフェルへと意識を転じていた。

「開きますか?」

 ラシュアの問いかけに、シルフェルは手にしたキーボードを軽く操作した。間を待たずロックが解除され、扉が開く。

「旧式なので些少梃子摺ってしまった。待たせてすまなかったな。」

 呆気に取られるラシュアの髪を何気なく弄びながら、シルフェルは嫣然と微笑む。

「ダリアンは…落ち着いたようだな。」
「あ…ええ、そのようですね。」

 引きつった笑みを浮かべ、ラシュアはついと身を離した。シルフェルの長い指に、彼の碧翠の髪が絡まり、さらりと指の間を滑り落ちる。
 含み笑いを洩らし、シルフェルは話しながら歩み寄ってくるリュリアン達に目を向けた。

「用意は出来たのか?」
「もちろん出来てるよ!」

 弾むように返された言葉に、シルフェルは頷き、その視線を彼女の後の少年へと送る。

「…大丈夫、だな。」

 問い掛けたその口元に笑みはなかった。それだけに、真面目だ、ということがうかがわれる。
 ダリアンは腰の短刀を確認するように手を伸ばし、シルフェルの瞳を睨むように見返して頷いた。

「ああ。何が起こってもな。」
「よし…行くぞ。」

 互いに牽制しあうようにして扉の奥へ進む二人を見、ラシュアとリュリアンは思わず顔を見合わせた。

「なに堅くなってんだろーね?」
「本当に…あの二人は見ていて飽きませんね。」

 どちらからともなくふと笑みを浮かべ、二人は先を行くシルフェル達の後に続いた。



 扉の奥は、予想した以上に広い研究所になっていた。
 僅かに緑かがった培養液で満たされた水槽が林立し、壁にはびっしりとコンピューターが埋め込まれている。
 無駄だと思われる程に天井は高く、見上げた壁面の所々に魔科源球が封じ込まれていた。光源が無くとも部屋が明るいのは、おそらく床下に描かれているであろう魔法陣のせいなのだろう。ラシュアに言わせると、可成長い間光の精霊が封じられているらしいとのことだった。

「す…っげぇ」

 ずらりと並んだ魔科機器に目を輝かせ、ダリアンは走るようにして近くのディスプレイへと近付く。

「ここのコンピューター、これって全部最新式だろ? このパスコード…最近見つかったものじゃないか?」
「ほう…分かるのか。」

 楽しげにディスプレイを覗き込むダリアンに、シルフェルは感心したように声を上げた。

「辺境にいたにしては、よく知って──」
「ったりめーだろ!」

 歩み寄るシルフェルに怒鳴り返したが、ダリアンのその声に苛立ちは感じられなかった。

「旅に出てから、色々勉強したんだ。魔科を村に導く段階になって、機械とか扱えねーなんて嫌だしさ。」

 その言葉を聞き、ラシュアがくすりと笑みを洩らす。魔科について勉強したのは確かにダリアンだが、それを勧めたのはラシュアなのだ。
 そんなラシュアを横目でちらと見やり、ダリアンは再びディスプレイに目を戻した。

「でも何で、街もないこんな場所に…」
「無論それは…」
「あのね、色々あるんだよ。でも都市から離れた地下の方が安全だし、広いから。」

 無視するな、とばかりに、リュリアンが二人の間に割り込む。

「アタシの故郷でも、地下に研究室あったんだよ。」
「へぇ、イスラノールみたく広い街でも?」
「うん。」

 ダリアンの言葉に応えつつ歩き出し、リュリアンは部屋に並ぶ培養槽を覗き込む。
 薄緑色の液体に満たされてはいたが、その中には何も入っていないようだった。

「おっかしいなァ…」

 呟きながら、次々と素早く槽を覗いていくリュリアンに、ダリアンは怪訝そうに眉をひそめる。

「何やってんだ、ありゃ?」
「さて…何をしているのやら。」

 唐突に頭上から振ってきた声に、彼は驚いて声の主を見上げた。

「い…いつ来たんだよ、ラシュア。」
「今ですが…何か探しているのでしょうか、彼女は?」
「んな気になるんだったらあいつに聞いてみりゃいーじゃん。」
「貴方こそ…」

 目紛るしく動き回るリュリアンに気圧されたような二人に、ふとシルフェルが苦笑を洩らした。
 滑り落ちた艶やかな髪を無造作にかきあげ、目の前のディスプレイを見ながら操作パネルを押す。青白い光を発していたディスプレイが一瞬暗転し、直後にプログラムが羅列された。
 ざっとそれに目を通し、シルフェルはそこにあった椅子に気付いてそれに腰を降ろした。

「ねーダリアン、手伝ってよぉ!」
「な…何だよ」

 背後ではリュリアンが研究所内を駆け回って何かを探していたが、シルフェルは構わずに文字を追った。

「シルフェル…? どうかしましたか?」
「…興味深いプログラムだ。」

 近付いてきたラシュアの問いに応えたその声には、何故か皮肉げなものが含まれていた。



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