幻想史話
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「皆起こしちゃっていいよね。」
「ああ。この霧では散策も出来まい。」
「おっけー。」

 髪を整えているシルフェルを尻目に、リュリアンは自分の足元で眠っているラーシィを起こしにかかった。再びその場にしゃがみこみ、そろそろと手を伸ばしその髭をひっぱる。
 その様子を視界の端に認め、シルフェルは苦笑を洩らした。いつもの事だが、リュリアンにはこう言った幼さが垣間見られる。
 眠っているのを良いことにラーシィで遊んでいるリュリアンを放っておいて、シルフェルはラシュアの側に歩み寄った。

「…ラシュア」

 片膝を付き、囁くように言う。取りあえず、起こそうとはしているらしい。…その他にも目的がありそうだが。
 ラシュアの腕に置いた手を、すっと頬へ滑らせる。心なしか顔を近付けて、彼は凝っとラシュアを見つめた。

「ラシュア…起きないのか」

 …息が触れるほど唇を近付けて言う言葉でもあるまい。瞭らかに、目的がずれている。
 微かに含み笑いを洩らし、シルフェルは軽く瞼を閉じた。

「シルフェル…!?」

 不意に、ラシュアの声が響いた。シルフェルはその手を離し、嫣然として立ち上がる。

「…惜しいな、起きてしまったか。」
「そ…それは、残念でしたね。」

 引きつった笑みを浮かべて、ラシュアは慌てて身を起こした。リュリアンに歩み寄っていくシルフェルを見送りながら、思わず安堵の溜息を吐く。

「…危なかった…」

 こう言ったことが嫌でラノンから逃れて来た彼である。いくら美的感覚が許すとは言っても、シルフェルと違って彼にそういう趣味は無い。
 この事は後で言っておこうなどと考えながら、ラシュアは傍らで眠るダリアンを起こそうと立ち上がった。

「ラーシィの鈍感〜」

 からかうようなリュリアンの声が響いている。続いて、シルフェルの声。

「リュリア、昨日の肉は残っているか?」
「あっ、ゴメン。昨日の夜お腹すいたから起きて食べちゃった。」
「……暫らくはまた採菜のみか」
「うぇ…まっずいコトしちゃったかなぁ。また肉なしの肉野菜炒めとか食べるのかぁ」
「それは肉野菜炒めとは言わないだろう」

 そんな会話を聞きつつ、ラシュアは手を伸ばしてダリアンの身体を揺する。

「ダリアン…起きなさい、朝ですよ。」
「う…」

 寝付きは異様に良いのだが、朝には弱い。ダリアンを起こすのは、今朝も苦労が必要なようである。
 いささか大仰に溜息を付き、ラシュアは一旦止めた手を再び動かしはじめた。

「起きて下さい、ダリアン。置いていきますよ?」

 …反応なし。

「食事、あなたの分作りませんよ。良いのですか。」

 食事、という言葉に、少年の眉が僅かに顰められる。それでも、起きる気配はない。

「ダリアン──いい加減起きないと怒りますよ…?」

 言葉の通り、声に少々怒気がはらまれている。精霊を呼び出して水でも浴びせようとでも言うのか、ラシュアの手には霊杖が握られていた。だが──

「…寝顔は意外と可愛らしいものだな。」

 唐突に声をかけられ、ラシュアは驚いて振り返った。何時の間にか、傍らにシルフェルが佇んでいる。炊事をリュリアンに任せて様子を見にきたらしい。

「か…可愛らしい、ですか?」

 言われてみれば、そうなのかも知れない。とはいえ、軽口を叩きあっている彼の目から見ると、日常のイメージがあるだけにそうは見えない。
 困惑した様子のラシュアを見てくすりと笑い、シルフェルはダリアンの側に屈み込んだ。ラシュアの止める間もなく、つとその額に口付ける。

「ん…っ?」

 数瞬の後、ダリアンが目を覚ます。その時には既にシルフェルは身を離していたが、ダリアンは何となく状況を把握したようだった。

「な…おま…」
「シルフェルー! 焦げてるっ!」

 罵声を上げかけたダリアンの声を、不意にリュリアンの声が引き裂いた。
 先程から炊事をしていたらしいのだが、どうやら火の加減を誤ったようだ。

「ああ…今、行く。」

 虚を突かれたようなダリアンの怒気からするりと身を外し、シルフェルはリュリアンの側へと歩み去った。

「…っっ!!」

 ダリアンの横では、ラシュアが両手で耳を塞いで深々と溜息を突いている。その表情には、ありありと杞憂が浮かんでいて…

「何すんだ、てめーっ!」

 漸く完全に目を覚ましたダリアンの怒声が、霧の晴れてきた朝の空気を裂いて響き渡った。
 朝食の間、彼ら全員が終始無言であった事は言うまでもない。
 尤も、リュリンは食べるのに夢中で口を開く暇が無かったようだが。

 食事を済ませ、彼らは東を指して歩き始めた。
 東に方向を定めたのに、特に深い意味はない。ただ西には、かつての中央都市イスィラノールがあるというだけである。
 イスィラノールの事が話題に出た時、リュリアンは思い出したように自分がその都市の出身であることを告げた。ダリアン達は無論驚いたが、元来の性格もあって結局の所然程気にしてはいない。
 滅びた都市の住人が生きていることは皆無と言っても良い筈だが、彼ら自身、旅をするという稀代の日常にこれから先の運命を委ねている身であるがゆえ、そう言った常識とは無縁のものなのだろう。
 そんなわけで、彼らは只管東へ歩いていた。

「ずっと東に歩いてたら、元の場所に戻っちゃうよねぇ。」

 一部、こんな意見もあったが──言うまでもなくリュリアンである──それは大分先になると言う事で、当然のことながら問題にされなかった。もとより、いつかは方向を変えるつもりでいるのだ。
 ただし、その道中に些か不安を抱いているものがいないわけではない。



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